自己嫌悪からの脱却

今の自分のまま、幸せに生きる心理学

ありのままの自分を受け入れる

退屈なときは、無理に何かをしなくていい(退屈と自己否定の話)

投稿日:2018年1月12日 更新日:

退屈に耐えられないのはなぜか

「退屈で、何もすることがない。特に何かをする気にはならないけれど、何もしていないのは、落ち着かない」

そんな風に感じることはありませんか。

私達は何もすることがない状態が苦手です。

忙しいときは、自由な時間が欲しいと言いつつも、実際に自由な時間が手に入ったら、何をしたらいいかわからず、途方に暮れてしまいます。

そこで何となく、スマホをいじったり、テレビのリモコンに手を伸ばしたり、本をパラパラめくったりするのですが、どうも満たされない。

結局、時間を無駄にしたという不愉快な感覚が残ります。

私達は無意識のうちに、何もしていないことが悪いことであるという感覚を持っています。

だから、何もしていないことに耐えられないのです。どうしてそのような感覚を持ってしまうのでしょうか。

やや極端な言い方をすれば、自分のことを価値がない人間だと思い込んでいるからです。


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心の底で、自分のことを空虚で価値がない人間だと思っている。

しかし意識の上では、それは認めたくない。

そこで、空虚感や自己無価値感から目を背けるために、自分は価値がある人間だということを証明しようとします。そのための手段が自分の時間を充実させることなのです。

素晴らしい経験をし、自分の時間を充実させることで、自分は価値ある人間であるということを、自分に納得させようとするのです。

そんなとき、何もすることがなくなると、見ないようにしていた自己無価値感が顔を出してきます。

そこで、どうしようもなく嫌な気分になります。つまり、自分は価値がないという認識が退屈を不快なものにします。

そのように考えると、手軽な手段で何となく退屈を紛らわせようとすることは、無意味だということがわかります。

それは、単に自分の気持ちから目をそらしているだけです。さらに悪いことに、自分の気持ちをごまかしていると、そのうち自分が何をしたいのかもわからなくなります。感情が摩耗していきます。

重要なことは退屈から目を逸らさないことです。

生じた感情をしっかり味わうことです。自分の感情を受け取ることができるようになると、自分が無価値であるという感覚も次第に薄れていきます。

何もする必要はない

何もすることがないときは、何もしなくていいのです。
何もしたくないときは、何もしなくていいのです。

自分はすばらしい人間なのだから、自分の価値を証明する必要はない。

何もしていなくても、自分はすばらしい時間を生きている。

そのように考えてみてください。

焦らなくても、自然にやりたいことが見つかります。


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