退屈に耐えられないのはなぜか
「退屈で、何もすることがない。特に何かをする気にはならないけれど、何もしていないのは、落ち着かない」
そんな風に感じることはありませんか。
私達は何もすることがない状態が苦手です。
忙しいときは、自由な時間が欲しいと言いつつも、実際に自由な時間が手に入ったら、何をしたらいいかわからず、途方に暮れてしまいます。
そこで何となく、スマホをいじったり、テレビのリモコンに手を伸ばしたり、本をパラパラめくったりするのですが、どうも満たされない。
結局、時間を無駄にしたという不愉快な感覚が残ります。
私達は無意識のうちに、何もしていないことが悪いことであるという感覚を持っています。
だから、何もしていないことに耐えられないのです。どうしてそのような感覚を持ってしまうのでしょうか。
やや極端な言い方をすれば、自分のことを価値がない人間だと思い込んでいるからです。
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心の底で、自分のことを空虚で価値がない人間だと思っている。
しかし意識の上では、それは認めたくない。
そこで、空虚感や自己無価値感から目を背けるために、自分は価値がある人間だということを証明しようとします。そのための手段が自分の時間を充実させることなのです。
素晴らしい経験をし、自分の時間を充実させることで、自分は価値ある人間であるということを、自分に納得させようとするのです。
そんなとき、何もすることがなくなると、見ないようにしていた自己無価値感が顔を出してきます。
そこで、どうしようもなく嫌な気分になります。つまり、自分は価値がないという認識が退屈を不快なものにします。
そのように考えると、手軽な手段で何となく退屈を紛らわせようとすることは、無意味だということがわかります。
それは、単に自分の気持ちから目をそらしているだけです。さらに悪いことに、自分の気持ちをごまかしていると、そのうち自分が何をしたいのかもわからなくなります。感情が摩耗していきます。
重要なことは退屈から目を逸らさないことです。
生じた感情をしっかり味わうことです。自分の感情を受け取ることができるようになると、自分が無価値であるという感覚も次第に薄れていきます。
何もする必要はない
何もすることがないときは、何もしなくていいのです。
何もしたくないときは、何もしなくていいのです。
自分はすばらしい人間なのだから、自分の価値を証明する必要はない。
何もしていなくても、自分はすばらしい時間を生きている。
そのように考えてみてください。
焦らなくても、自然にやりたいことが見つかります。
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