私達にとって、自分の欠点というのは、とても受け入れにくいものです。
自分の外見や性格、能力について、悩みを持っている人は少なくありません。
自分の欠点を他人から指摘されたとき、あるいは欠点を痛感させられる出来事に直面したとき、
私達はとても感情的になります。
激しい怒りを感じたり、落ち込んで何もしたくない気持ちになります。
いっそのこと、別の人間に生まれたかったと思うこともあるかもしれません。
どうして自分の欠点というのは、これほどまでに耐えがたいものなのでしょうか。
欠点によって拒絶されるという恐怖心
私達が自分の欠点を嫌悪するのは、
「他人から受け入れられるためには、立派で優れた人間でなければならず、欠点が明らかになったら拒絶される」
という恐怖心があるからです。
自分に自信が持てないとき、私達は完璧主義になります。
自分を少しでも良く見せようと努力し、本来とは異なる自分を演じます。
他人から嫌われたり拒絶されたりしないために、本当の自分は隠しておかなかればいけないと考えます。
自分以外の人間になろうとしているのです。
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「他の人は完全で、自分だけ欠点だらけ」という思い込み
私達がこのような思考・行動に陥ってしまう背景には、とても偏った物の見方が存在します。
それは、「他人は完璧なのに、自分だけが不完全」という捉え方です。
他の人達は立派に活躍しているのに、自分は欠点だらけで、何もできていないと考えてしまいます。
まわりの人達は楽しく幸せに生きているのに、自分だけが嫌な思いをして苦しんでいるという感じ方をします。
「他の人達もまた、自分と同じように様々なことに悩み、苦労しながら毎日を生きている」という、頭で考えれば当たり前の事実が、感覚的に受け入れられないのです。
重要なことは、「この世界に完璧な人間はいない」ということに気づくことです。
これは、あまりにも常識的な事実ですが、自分のことに囚われていると、すぐに忘れてしまいます。
欠点は誰にでもあるものです。
欠点があるからといって、自分を恥ずべきものであるかのように考える必要はありません。
自分の欠点もまた、自分を形作る様々な要素の中の一つでしかありません。
私達が欠点を重大なものと考えてしまうのは、自分の心が拡大した像を見ているからにすぎないのです。
私達は、他人の欠点のことで、頭がいっぱいになったりはしません。
同じように、他人の頭の中が、あなたの欠点のことでいっぱいになることはありえないのです。
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