今の社会では、コミュニケーション能力がとても重視されます。
自分の考えを人にうまく説明すること。
人と会話のやり取りができること。
これらの得意な人が、能力が高い人と判断される傾向にあります。
すると、どうしても口下手な人は苦労することになります。
口下手を克服したいと考える人も多いでしょう。
しかし、社会環境が変われば価値判断も変わります。
口下手であることが、将来大きな価値を持つようになると私は考えます。
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コミュニケーション能力は、人工知能で代替可能になる
AI技術の進歩は著しく、人間と変わらない水準で説明したり、会話したりできるレベルに達するのも、それほど遠くはないでしょう。
人工知能が、店頭で商品の説明をしたり、専門知識の必要なアドバイスをしたり、あるいは暇なときの会話相手になったりすることも、珍しくなくなるかもしれません。
そうすると、現在求められているようなコミュニケーション能力は、コンピュータで十分果たすことができるようになります。
そうすると、口下手であることは、むしろ希少価値になるのではないでしょうか。
今、パソコンで入力すれば、整ったきれいな文字を表示できます。
プリンターを使えばそれをそのまま印刷することができます。
以前であれば、手書きで、きれいで正確な文字を書けることには、現在よりも大きな価値があったことでしょう。
しかし現在、きれいな文字を書くことでコンピュータと争っても仕方がありません。
一方で、パソコンの文字は「無個性」で「冷たい」印象を与えると指摘されることがあります。
手書きの文字は「温かみ」や「人間味」があると言われます。
そのような「温かみ」や「人間味」を生み出すのは、文字の歪みとか、バランスの悪さのような、一見不完全な部分なのです。
自分の受け入れたくないことの中に自分らしさがある
パソコンが文字に与えたのと同様の影響を、AIがコミュニケーションに与えるのではないでしょうか。
コンサルタントのような流暢な説明も、トップ営業マンのような会話も、機械でできるようになります。それはパソコンの文字のような「無個性」で「冷たい」ものと言われるようになるかもしれません。
たどたどしくて、何が言いたいのかわからないような、一見不完全なところが、温かい、人間的な要素なのだと多くの人が考えるようになることでしょう。
究極的には、個性は欠点の中にしか存在できません。
役に立つこと、優れていること、すばらしいと考えられることは、研究され、模倣され、すぐに広く行き渡ってしまいます。
長所というのは、あっという間に陳腐化してしまいます。
自分らしさというのは、自分の受け入れたくないことの中にあるのです。
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