自己嫌悪からの脱却

今の自分のまま、幸せに生きる心理学

ありのままの自分を受け入れる

「誰も私の気持ちをわかってくれない」というのは当然

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人はみんな、自分の論理の中で生きています。

 

自分は自分の論理の中で考え、判断しています。

他人は他人の論理の中で思考し、行動しています。

 

これは当たり前のことのように思えますが、私達は、他人も自分と同じ論理の中で生きているかのように考えがちです。

だから人間関係には、様々ないざこざ、トラブルが発生します。

何度言っても他人は、自分の思ったとおりには行動してくれないし、

こちらが傷付くようなことを言ってきます。

 

このようなとき私達は、

「バカにされている」

「どうでもいいと思われている」

「嫌われている」

「挑発されている」

と判断してしまいますが、それは自分の解釈にすぎません。

相手が何を意図してそうしてくるのかは相手にしかわからないし、

そもそも意図があるのかどうかさえもわかりません。

 

相手のの言動を、自分の論理によって解釈し、勝手に傷付いているのです。

逆の立場から見ると、自分が何も意図していなくても、相手から「攻撃された」と誤解されることもありうるわけです。

トラブルになるかどうかはともかく、誤解は必ず発生します。

自分も必ず他人を誤解するし、他人からは必ず誤解されます。

 

「誰も私の気持ちをわかってくれない」というのは当然のことなのです。

そう言う自分も、相手の気持ちはわからないわけです。

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現実は、事実を題材にして自分が作り出したフィクション

「誤解は避けられないものだ」と認識しておくことは、とても重要です。

イライラしたり、落ち込んだりしたとき、「自分は相手を誤解しているかもしれない」と考えることができれば、猛烈な感情の渦から抜け出て、冷静になることができます。

そもそも自分が見ている世界というのは、事実を題材にして自分が作り出したフィクションなのです。

歴史小説や歴史ドラマと同じです。

それらは過去の事実を題材にしていても、どのような事実を抜き出してきて、どのような意味づけ・解釈を行うかということに、作者の世界観が反映されています。

極論すれば、偏見によって構成された物語なのです。

 

同様にして私達は、自分の経験を題材にしたフィクションを、頭の中で書き続けているのです。

どのような物語になるかを決めているのは、自分の世界観です。

 

自分は幸せだと思っていれば、毎日の経験は幸せに思えるし、

自分は不幸だと思っていれば、そのとおりに見えます。

 

いずれししてもフィクションであり、ある種の偏見なのだから、

自分にとってより生きやすく、楽しいと思える世界観を自分で選択すればいいのです。

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