私達はいつも、気が休まらないくらい様々なことに悩んでいます。
仕事のこと、人間関係のこと、お金のこと、健康のこと・・・。
本当にそんなに悩む必要があるのでしょうか。
問題が起こることを拒否すると、潔癖になる
私達は勘違いしています。
人生には問題があってはいけないと考えているのです。
確かに何事もなく平穏に日々を送ることができれば、それは素晴らしいことでしょう。
しかし、自分の意志とは関係なく、問題は起こります。
何事もない人生が望ましいかどうかという以前に、それは不可能なのです。
トラブルはいくらでも起こりえます。
ほとんど日常茶飯事といってもいいでしょう。
私達はそれを深刻に捉えすぎているのです。
あまりにも深刻に考えているから、毎日常に恐怖でいっぱいなのです。
いつも尋常ならざる注意力で、問題がなく安全であることを確認しようとしています。
これは問題を探しているということです。
そして問題を見つけてきては悩んでいるのです。
自分で問題を作っていると言っても過言ではないくらいです。
これはもはや潔癖症です。
気にしてもしょうがないこと、気にする必要のないことを問題視して、延々と苦しんでいるのです。
もしかしたら毎日「自分ばかりが損をしている」ように感じているかもしれません。
それは結局のところ、自分がありとあらゆることを問題視するくらい、様々なことに対して過敏だからです。
うまくいかないことを嘆き、
うまくいったらそれが続かないことを嘆き、
いい状態が続いたらそれを失うことを恐れるのです。
では、自分が物事を深刻に捉えすぎていることに気づいたとき、私達はどのように対処したらいいのでしょうか。
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問題の当事者を他人に置き換えてみる
自分の直面している問題が、他人に起きたことを想像してみましょう。
私達は、自分のことになると視野が狭くなってしまいますが、他人のことなら意外と冷静かつ的確に判断できます。
問題の当事者を自分ではなく他人に置き換えてみると、実はそんなに悩むほどのことではないと気づくことができます。
そして問題に対して、可能な限り何か具体的な行動を取ってみましょう。
じっと考えていると、出口のないまま悩み続けることになります。
結局さっさと終わらせるのが一番楽なのです。
(なかなかそう思えないですが)
上記のことを意識して様々なことに対処しているうちに「問題が起きても大丈夫」という感覚が育っていきます。
慣れてくれば、小さなことは気にならなくなります。
動揺することも減ってきます。
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