「自分に自信がない」
「自信をつけたい」
という人は多いでしょう。
私もかつてはその1人でした。
「自信があればもっと新しいことに挑戦して人生を変えられるのに」
「いつも人の目を意識して委縮している自分が嫌だ」
そう思っていました。
それにしても、どうして私たちは自信を求めるのでしょうか。
自信とは虚構であり、そもそも存在しない
私たちが自信にこだわるのは「自分には価値がない」という思い込みがあるからです。
「自分には何もできないし、価値がない」という認識は、とても不快なものです。
そのような心の痛み、苦しみから解放されるための「特効薬」として、私たちは自信にすがりつきたいと考えます。
しかし、自信をつけようと頑張ってみても自信をつけることはできません。
なぜなら、私たちを救ってくれる自信などというものは、そもそも存在しないからです。
自信というのは、救いを求めて頭の中で考え出した虚構にすぎません。
「自信がないからできない」、「もっと自信をつけてから挑戦する」というのは、行動しないための口実です。挑戦するのが怖いから、「自信がない」ということを持ち出そうとするのです。
どんなに準備をしても、時間をかけて策を練っても、新しいことに挑戦するのは怖いものです。動かないことを正当化しようとすれば、「自信がない」というのはとても都合がよいわけです。
結局のところ、怖くても動いてみるより他ありません。
自信は、自分の心が作り出した空想にしぎないのです。
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価値の優劣を判断するのをやめる
諸悪の根源は「自分は劣っている」という心の前提にあります。
そのような思い込みを捨てることが重要です。
では、どうすればよいのでしょうか。
優れている、劣っているなどといった価値に関する判断をやめることです。
これは自分に対してだけでなく、他人に対してもです。
自分に陶酔することも、自分を責めることもやめましょう。
他人を崇拝するのも、馬鹿にするのもやめましょう。
自分が価値について判断していることに気づいたら、深呼吸して思考をストップしましょう。
少しずつ自分や他人を中立的に見ることができるようになります。
成功も失敗も、それ自体はただの事実です。
「失敗=恥ずかしいこと」というのは、自信のない自分が妄想した虚像にすぎません。
むやみに価値と結び付けて物事を考える癖がなくなれば、挑戦することも、それほど恐ろしいことではなくなります。
その頃には自信なんて、どうでもよくなります。
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